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2008/03/04

[日記][思想] mixiがよろしくない方向に走り始めたような。

【同日18:30追記】
このエントリーを書いたあと、mixi側で動きがあったようです。
一度書いちゃった物なのであえて消しませんが、最新情報はこちらです。

mixi、4月に規約改定。「日記等の著作物はユーザー自身が権利を有する」

うん、理解しやすいように改訂し直してください。
【追記終了】



さて、昨年4月末にようやく重い腰を上げて入ったmixiですが、
なんというかあまりよろしくない方向性に進み始めたようです。

mixi、4月1日より利用規約を改定--日記などについて著作者人格権の行使を禁止 - CNET Japan


ここ数ヶ月間、OpenIDやOpenSocialへの参加表明など、
「なんだわかって来たじゃんか。面白いこと始めたじゃないか」と
かなり好意的な印象を持ち始めていたんですが、
この発表で信頼度急激ダウンです。

まぁつまりどう言うことかって言うと、
みなさんがせっせせっせと書いた日記を勝手に書き換えたり、
勝手に引用して、ミクシィの著作物として発刊したりできるってことです。
なんか非常に時代に逆行したことやってるなーと思うわけですよ。
というかコンテンツ制作者バカにしてんのか、っていう。

もちろん俺はこのサイトがあるから関係ないし、
俺のマイミクでもガチで日記書いてるヤツなんていないから
大した被害/損害は被らないでしょう。
でもこの方針は非常によろしくない。
ぶっちゃけ泥棒みたいなものじゃないですか。
人が作った物を「コレ君じゃなくて俺のだから」って言ってるんだから。


また、前述のリンク先の記事を読み進めていくと、
ほかのCGMサービスでも同じような動きがあるもようです。
こんな風になってるとは知りませんでした。。。

ちなみに、俺が使っているこのBlogger(Google傘下)の利用規約では、
知的所有権について Google のサービスを通じて送信、投稿、表示されるコンテンツの所有、管理に関する権利は Google には一切ありません。ユーザーまたは第三者のライセンサーは、Google のサービスを使用して送信、投稿、表示するすべてのコンテンツの特許権、商標権、および著作権を有します。それらの権利を必要に応じて保護する責任はユーザーにあります。
としています。



何度でもいいますが、みなさん、twitterをやりましょう
1投稿あたり140文字限定のミニブログと思っていただければOKです。
日本語版も少しずつ開発が進んでるみたいですし、
日々の雑記的な内容でしたら、こちらの方が圧倒的に楽だし、速いです。
movatwitterを使えばメール投稿も可能になりますから、
思ったことをその場でメールにして送ればいいわけです。

感覚が掴めないならこちらへ→Twitter / seamile
俺は結構なヘビーユーザーなので、ものすごいペースで書いてます。
コンセプトである「What are you doing?」というより、
「What are you thinking about?」って感じですがww


また、まとまった内容を書きたいんだったらブログを作りましょう。
俺の書く内容なんていつも大したことありませんが、
本文横メニューの「Linked Blogs...」から行ける数々のブログは、
それなりの分量と質を持っています。
自身の情報発信の場としてウェブを利用するなら、
ブログを持った方が圧倒的に有効的です。


・・・とりあえず、mixiはまだ続けることにします。
元々ログ追うだけでしたので、それだけのために続けます。
でも、Twitterに移行した方がいいと思いますよ、俺は。

2008/01/19

正義と悪―――私生活と奈須きのこ作品における考察。

今日は色々と思うことがあり、久々に更新したいと思います。
相変わらず長々と支離滅裂気味デスwww

以前から疑問に思っていたことなのですが、
「正義」ってなんなんですかね?
逆に言うと、「悪」ってなんなんですかね?

思想に明確な基準なんてありはしないけど、
「絶対悪」なんて言葉があるくらいだから、
きっと人間の根底に共通概念として存在しているんだろう。

でも結論から言って、私にはそれが理解できない。
快楽と不快、という概念なら理解できるし、よく知ってるから、
以前「正義」と「悪」をそれに当てはめて話をしたのだが、
母にも、姫君にも、たしか悪友であるゴリにも、「それは違う」と否定された。
それぞれ、その人達なりに反論してくれたのだが、
俺にはどうしても納得できなかった。

だから今日はそれについて考えてみる。



今日は母方の祖母の四十九日で、埼玉県は越谷まで行ってきたのですが、
自宅に帰ってきた頃、途中まで一緒に帰った母からメールがあって、
乗り換えの駅で5000円札を拾ったので駅員に届けたんだけど、
対応が素っ気なく、雰囲気的にそのまま駅員がネコババしそうだった。
しかも、周りになんか「お金くすねたヤツ」みたいな白い目で見られた。
この世に『正義』はないのか。
的な内容だった。
俺が小さな頃にも同じような出来事があって、
その日はなんか昼食に入った店でサービスしてもらったとかで、
「いいことしたからラッキーだったね」的な話になった気がする。

とりあえずその昔の話が出たときも、このメールも、軽くスルーしてる。


物心ついた頃には「家族」なるモノが崩壊してて、
家じゃいつも母と二人っきり、という家庭環境がそうさせたのか、
俺は基本的に母の思想の影響を強く受けてます。音楽だってそう。
「音楽に接する」という楽しみを教えてくれたのも母だし、
The Beatlesという俺のロックの原点を与えてくれたのも母。

でも、この「正義」と「悪」という概念の話になると途端に話が合わなくなる。

なんでも母によると、人間がその文化的な生活を保つために、
最低限のルールというか、
「やるといいこと」と「やっちゃいけないこと」の基準を共通して持っているらしい。
で、それが人類共通の絶対的な「正義」と「悪」の基準なのだ、という。


たしか姫君にも同じようなことを言われたのだが、
この2人は、そこに至る重要で単純な流れを忘れていないだろうか?

我々が社会生活を送る上で、「やっちゃいけないこと」に分類されるのは、
様々な面で他人を害するようなことだ。
つまり端的に言ってしまえば、「自分がやられたら嫌なこと」だ。
よく小学生とかを叱る時に「自分がやられたらどう思うの?」っていうけれど、
『自分が嫌』=『他人も嫌』→「やっちゃダメ」って流れが生まれてる。
つまり結局のところ、「悪」なんて概念は
「不快」っていう感情から派生したものに過ぎないなんじゃないの?ってこと。
「正義」はこの逆ね。「快感」「嬉しい」って感情の派生。

で、そう考えると、違った価値観の人物/共同体同士じゃ
「正義」と「悪」の基準も変わってくるんじゃないか、と。
よって、人類共通の絶対「正義」や「絶対悪」なんて存在しない。
あるのは個人、もしくは集団にとって
「気持ちいい」か「気持ち悪い」かという判断基準のみだ。
それが、俺の考えなんです。



奈須きのこのライトノベルで、俺が大好きな『空の境界』に出てくる
「チャンネル」という概念が非常に面白いので、使ってみます。

この「チャンネル」ってのは、要は世界や事象の見方のことです。
一般的に「異端」とか「異常者」っていわれる人たちは、
別に精神が病んでるとか、人格が歪んでるのではなくて、
単に世界の見方(=TVのチャンネルみたいなモノ)が
一般人と違っているだけなんだ、という考え方です。

わかりやすく例えるならスピード狂。
一般的に見ればアレはタダの暴走行為で、非常に危険ですが、
彼らにしてみれば刺激的な体験で、これ以上ない程の快楽なワケです。
以前ドキュメンタリーについて語ったときの、
「真実」と「事実」の違いと共通していますね。

この考え方を用いると、例えば1chを見ている集団の中で、
独り4chを基準に物事を考える人がまじっていたら、
当然微妙に考え方や情報の受け取り方が異なるわけで、
大勢の人々が「絶対悪」だと思っていることも、
その4chを見てる人にとってはごく普通のことかもしれない。
さらにいうと4chを見てる人は、この集団では「異端」であって、
「社会」とか「一般」とかの外に位置する存在だけれど、
4chを基準にモノを考える人が大勢を占める集団があれば、
その人は全然「異端」なんかじゃない。
そう考えると、1ch集団にとっての「絶対の善悪」も
全体で見ればその集団の「文化」などと呼ばれる固有のものに過ぎない。


・・・どうだろう?
これでも絶対の「正義」や「悪」は存在するんだろうか?
しかも実際の世界は、チャンネル数≒人口なんだから、
本当に共通の善悪の基準を持っているか、実に怪しいものだと思う。

もちろん人それぞれ、もしくは集団内で共通の
「善悪の基準」があることは否定できないけれど、
それをもって全ての事象の善悪を計るのは傲慢じゃないだろうか。


後に奈須きのこは『Fate/stay night』(実は未プレイ!)の中で、
「正義の味方」と「この世全ての悪」というキャラクターを出している。
これも面白くて、両者とも過程は違えども、
結局は何かを犠牲によって人々を救った、という設定なのだ。
「正義の味方」はみんなを救うために、大勢を庇い、
悪、というか少数を殺し尽くした。
本来<全てを救うこと>が理想の「正義の味方」であるのに。
「この世全ての悪」は、その汚名を被されることで、
その他大勢が相対的に「正しい」あり方に近づき、彼らを救った
お互い『自己のあり方』を犠牲にして、人々を救ったのだ。

見方によってはどちらも
人々を幸せにするような「正しい」ことを行っており、
何かを犠牲にしてしまう「悪」でもあますよね。
つまり「チャンネル」の違いによって、
同じ事象でも善悪が入れ替わってしまうんです。
で、それを決定づけるのは快感か不快か、という話じゃないか、と。

だからこそ、簡単にこの二つの言葉を口にしてほしくないのです。
「お前の好み押し付けんなよ」と言う感じで。



正直に言わせてもらえば、
俺がこうまでステレオタイプな「正義」「悪」を嫌うのは、
アメリカが戦争の口実にそれを使うことへの反感です。
まぁ考えても見れば、今までどの国家も同じ理由を使ってきたんですが、
ことさらそれを強調する現ブッシュ政権はあまりに偽善的。
どうせやるんだったら、
「アイツら気に入らないからブッ殺す」ぐらい言えば、
まだ「バカだからしょうがないか」とも思えるんですが・・・。


みなさんにとっての「正義」「悪」ってなんですか?
その基準はどこにありますか?

2007/09/04

一番やってみたいのは碇ゲンドウ密着取材!w

 みなさん、お久しぶりです。twitterばかり更新してると評判のKairiさんです、こんにちは。小ネタは死ぬほどあったんですが、そーゆーのはマジtwitterとかで事足りるので書きません。だからみんな、twitterやろうぜ?w

 さて、昨日は前々から注目していた映画を2本見て来ました。『新世紀ヱヴァンゲリヲン:序』とマイケル・ムーア最新作『SiCKO』。両方ともぜひ見て欲しい映画なので、レビューを書こうと思います。
 前回のエントリーの続きは、もうちょっと待ってくださいね。最近ようやく執筆を始めましたので。

『新世紀ヱヴァンゲリヲン:序』レビュー


 ネタバレを多いに含みますので、読みたくなかったら飛ばしてください。
 皆さんはエヴァンゲリオン『旧世紀版』を全話見たことがあるだろうか? もしないのだったらぜひ一度見て欲しい。ここでいう『旧世紀版』とは、TV放映された全26話と、かつて劇場公開された最終2話だ。TV最終2話と劇場版は互いにリンクするので、頭を働かせればあの難解と言われるストーリーも理解できるハズだ。テレビ版見るのメンドくさかったら、総集編であるもう一つの劇場版を見よう。
 で、それらを先に見ておくと、今回の『新世紀版』の内容が朧気ながら理解できる。まず、『序』はTV版1話〜6話までの話、「笑えばいいと思うよ」で有名な「ヤシマ作戦」までだ。しかしかつてのエヴァ序盤とはあからさまに変わっている点がある。気になった点をいくつか挙げると・・・ぁ、俺は絵描きさんでもミリヲタ/メカヲタでもないので、そっち方面のことはよくわからないし、書きませんよ?w

  1. TV版と比べて、意図的にカットされたシーンが結構ある。

  2.  伊達に外付けにHDDに全話入ってませんよ、その辺は丸わかりです。
     特に序盤はそれが目立ちますね。例えば、ミサトさんがN2地雷のせいで「服と車ぼろぼろ」とか嘆くシーンとか、ミサトさんがネルフ本部を迷うシーンとか、リツコさんの水着シーンwwとか、シンジ君が初号機の前に立たされるまでのミサトさんとリツコさんの会話シーンなどなど。庵野監督が「わかりやすくする」と言ってましたが、まぁ要は「シンジ君を中心とした群像劇」を描く上で、イマイチ関連性のないシーンはカットする、という方針なんでしょうね。かつ、その「群像劇」として注目するキャラクターもだいぶ絞ってきたようです。なんてったってシンジ君、最初の学校でのシーンがトウジに殴られるとこですからw この時点でトウジとケンスケ、さらに言うとヒカリは完全な脇役扱いになりましたよね。セリフによる状況説明オンリーで、登場人物として心情を描くシーンは『序』の時点では皆無。『旧世紀版』では、特にトウジに関しては序盤〜中盤まで結構細かい心理描写があったのに。

  3. 全体的に速いテンポで、そしてベタともいえる映画的演出になった。

  4.  シーンがカットされたこともあり、とにかく話のペースが速い。まぁ放送としての枠を考えなくて済む、と言うんだから、これが本来エヴァが持っていたテンポなんだろう。でも俺としてはあの、なんもセリフがなくて、雨が降る音だけが聞こえるって言う演出を連発するの好きだったんだけどなぁ・・・といっても『新世紀版』でも随所でそれが見れますが。
     そして演出が非常に映画的というか、めっちゃわかりやすく作ってます。特に『序』中盤以降のシンジ君の心理描写はこれでもかってほど丁寧で、『旧世紀版』の「想像にお任せするぜ。でもこういうことあって、こんな表情してんだからわかるだろ?」的なのは微塵も感じさせません。その、なんつーかアメリカ映画並にご丁寧な心情説明を見てて、「ヤシマ作戦」とかもう笑いを堪えるのに必死でwww でも、おかげで『旧世紀版』なんか目じゃない程、手に汗握る展開になってます。

  5. てかラミエル強すぎです。

  6.  ラミエルって言うのは「ヤシマ作戦」で倒す、あの青くて四角いヤツです。『旧世紀版』でも「攻守完璧」とミサトさんにお褒めの言葉を頂いていたヤツですが、今回さらにパワフルになって帰ってきました。えぇ、むしろ「最強じゃね?」とも思えるほどです。
     なんてったって変形しちゃいます。もうなんか生物とさえいえないジャマイカってほど。そして前のラミエルが加粒子砲の出力ほぼ一定だったのに対し、今回のは強弱があります。そしてその強い方は、なんと山を一個溶かしちゃうほどなんです!
     さらにそれだけじゃありません。今回のヤツの生命力はゴキブリ並みです。一度初号機の放った陽電子砲にコア(使徒の弱点)を貫かれ、血を噴き出して死んだかと思いきや、数秒で復活して反撃しやがります。「ちょwおまwwどんだけ強いんだよ」とKairiさんはまたしても笑いを堪えるのに必死でしたよw

  7. 追加シーン/設定変更がかなり意味深。

  8.  え〜、色々と設定変更はあったんですが、記憶にばっちり残る程、意味があって鮮烈だったものをピックアップ。
     まず冒頭の初めに登場する海の色。エヴァを見たことある方にとってはおなじみの、サキエル上陸シーンですが、その情景を見るとビビります。『序』初めのカットが赤い波が浜辺に打ち寄せるトコですから。そう、あの『旧世紀版』ラストシーンのアレです。さらに、山の上に、現場検証でもされたのかって感じの超大きな人型の輪郭が残されてます。形から推察して、やっぱり『旧世紀版』のアレです。もうこの時点でKairiさんニヤニヤしっ放しwww
     次に使徒の数が違います。最初に襲来するヤツで、俺的に超ラブリーな姿をしているサキエルくんですが、『旧世紀版』では「第3使徒」と呼ばれてるのに対し、『新世紀版』では「第4の使徒だ」と呼ばれています。さらにいうと、使徒を2体倒した(第5使徒まで確認された)状態で、ゲンドウのおっさんが「あと8体の使徒を倒さねばならない」と語っています。これによって導きだされること、それは『新世紀版』の設定では、使徒は全部で13いるということです。『旧世紀版』では(おそらく放送回数の関係で)合計18体の使徒が存在していました。いやぁ、絶対あの蜘蛛の形したヤツとか、火山の中で寝てるヤツとか、MAGIに侵入してくるヤツとか、カットされちゃうんだろうなぁ・・・蜘蛛とかもう無様すぎて大好きなんだがw あと使徒といえば、死に方が変わりましたね。これは「放送じゃないから」っていう理由でしょうが、もうこれでもかって程血を撒き散らします。ブワァー!です、ブワァー!! 開場前、列に並んでいると後ろの方から父子の会話らしきものが聞こえたんですが・・・きっと気のせいだよね;;
     そしてシンジくんがサキエル戦のあとに目覚めるシーン。例のごとくシンジ君の心象風景として夕暮れ時の電車内が映し出され、例の「男だったらシンジ、女だったらレイと名付ける」の会話のあと、まだこの時点では会話がないハズの綾波の声で「シンジ、レイ、シンジ、レイ、綾波、シンジ、碇、綾波、碇、レイ・・・違う、綾波、レイ」と言う感じのセリフが入ります。うは、もうめっちゃ煽ってますけどw ここでKairiさんは何となく『旧世紀版』と『新世紀版』の関係が読めてきました。
     次。ここは本質的には演出方針による変更と追加なのですが、ヤシマ作戦を前にエヴァに乗ろうとしないシンジ君に、ミサトさん(そういえば階級が二佐になってますね)が早速地下の巨人<リリス>を見せて、「みんな死ぬ覚悟でやってるんだ。命を懸けて怖いのは君だけじゃない」的な話をします。『旧世紀版』と違ってイマイチ「家族」として描かれない2人ですが、どうやら「姉と弟」として描かれるようです。で、この時のリリスの仮面、サキエルの顔の形をしています。これだけなら「ぁ、変えたんだー」程度だったんですが・・・
     最後に既にネットで話題になってますが、一番最後にカヲル君、ガチホモ意味深なセリフとともに登場です。彼が目覚めて体を起こすと、それは棺桶の中。ゼーレの渋い声のおっちゃん(確かキールさん)と会話が始まります。「また3番目か」とか「会えるのを楽しみにしてるよ、碇シンジ君」とか、もう煽るだけ煽ってくれます。キールさんも「死海文書外典が掟の書となった(『旧世紀版』では「裏死海文書がこの位置づけ)」とか言って「『破』も見ろよ」と暗示をかけてきます。そしてここで注目すべきカットは2つ。ここにも磔にされたリリスらしきモノがいます。それも『旧世紀版』の方のリリスです。そしてもう一つはカヲル君が見上げた先に浮かぶ地球。つまり彼らは月にいる、と。そして地球は青い、と。
     さぁ、まとめてみようか。

 まぁ、以上の点によってKairiさんはこう推察しました。もしかして、「完全新作」とか言っといてこれは・・・続編? 海は第3東京市近くだけ赤いし、量産型っぽい人型はあるし、ミサトさんの階級は違うし、使徒の編成変わってるし、リリスの仮面違うし、もう一つ出てくるし、本格的に「仕組まれた子供たち」のようだし、カヲル君は何もかも知ってるみたいだし・・・細かい設定まではちょっと材料不足ですが、『旧世紀版』を踏まえた上での物語だ、と言うことは確実だと思います。
 そして『破』では、月から6号機が飛来したり、弐号機が登場したり、4号機が消えたり、3号機の起動実験が強行されたりするそうです。・・・ぇ、展開速すぎない??;; 次回も、サービスサービスぅ♪

『SiCKO』レビュー


 まずこのレビューを呼んで頂く前に・・・皆さん、マイケル・ムーアって知ってますよね? ドキュメンタリー映画監督なんですけど。『Bowling for Columbine』とか『華氏911』とかで有名なんですけど。てか彼がどーゆー作品を撮る監督かっていうのがわかっているのを前提に話を進めますが・・・いいですか? わかんない人は『Bowling for Columbine』でも見てください。

 この作品のテーマなんですが、医療保険問題です。日本でも近年問題となっていますし、今の政府の政策はもっと憂慮されるべき事柄なのですが・・・まぁそれは置いといて。日本、というか世界的に数多くの国では一応「国民皆保険(政府が税金みたいな形で国民から徴収した金を、国民が医療サービスを受ける際、費用をある程度肩代わりできるようにする制度、みたいな感じ)」の政策が採られているらしいんですが、アメリカではその制度がないらしく、国民は自己責任で民間の保険会社に入らなきゃいけないらしいんです。まぁそれのおかげで、保険に加入していない人が高額請求にあって大変なことになるんですが・・・これは彼らに関するドキュメンタリーではありません。むしろ保険に加入している人たちの話です。どういうことかというと、保険に加入していたとしても、色々と難癖を付けられて保険会社から医療費の負担を拒否されるというのです。おかげで、受けられたはずの治療が受けられず、病気やケガが悪化し、あまつさえ死亡してしまうという悲劇としか言いようがない事態が起こっている。・・・ぇ、なんで? と言う話です。簡単に言うと。

 そしてこの作品のスゴい所は、とにかく取材がめちゃめちゃ多いこと。アメリカ・カナダ・イギリス・フランス・キューバとなんと5カ国も渡り歩き、その各国できちんとムーアらしいクレイジーさを見せつけてくれますw もちろん以前からの手法である、大量の資料映像投入や突撃/密着取材は健在。きっちりガッツリ、情報採集/情報選択/理論証明をやってくれちゃいます。といっても、さすがにKairiさんだってドキュメンタリストの端くれですから、彼の主張に残された反論の余地を各所で見つけ、独りでニヤニヤしてたんですがw まぁ彼の場合、確実にわざと残してるんですけどね。
 あと今回注目すべき点は、今までの作品と比べて「構成」が極めていい、と言うことでしょうか。俺が大好きな『Bowling for Columbine』でさえ、構成的には「う〜ん...」と言う感じがあったのに、今回のはほとんど完璧。いらない情報はスパッと捨てて、感情の方向性をベースに論理で納得させる、という密着系ドキュメンタリーの王道をやってみせてくれました。すなわちこの作品で彼は「第三者」ではなく、徹底して「アメリカバカ白人(本人命名)」の一人(=当事者。ピエロ)として話を前に進めるので、何の予備知識もなく、存分に楽しむことができる、ということです。・・・もちろん、彼自身がその「アメリカバカ白人」をバカにしているので、ブラックジョーク満載のエンターテインメントとしても楽しめますがww (余談ですが、『華氏911』では彼が自らを「正義」として掲げてしまったので、イマイチ面白みに欠けたのでしょう。彼は「正義」を心がけていても、決して「正義」になれないのは自明ですから)

 ただ「失敗したなぁ」と思ったのは、あらかじめ日本の保険制度を細かく調べておけば良かったなぁ、と。すると日本と比べられたので、もっと面白く見れたかな、と思ったり。

 まぁとにかく。『SiCKO』に関しては間違いなくドキュメンタリスト:マイケル・ムーアの最高傑作だと思います。森達也は彼の作品を「プロパガンダ的」と言ってましたが、自分の主張(ないし感情)を情報の塊によって他人に見せていくのだから、表現によってはプロパガンダになることは間違いないでしょう。ドキュメンタリーはニュースじゃない。そもそも人間に「事実」のあらゆる側面を見せるのは不可能なのだと森達也本人が言っているんだから、ムーアみたいに明確などっかの目線に立って、一側面を強烈に見せるのも、ドキュメンタリーの一手法であろう。そして今回の作品はドキュメンタリーの総合的技術として、間違いなく超ハイレベルだ。
 だから、ドキュメンタリストのあなた! 一度この映画を見てみては?

2007/07/25

久々のエントリーは、マジメに。

連日の死闘の末、遂に体調を崩したKairiさんです。コンヌツワ。
今日もバイトに入ってたんですが、大事を取ってお休みしました。
13連勤中の上司:Aさんには悪いことをした・・・。

そんなんで忙しかったこともあり、このサイトも全然更新してませんでしたね。
twitterの方は割と頻繁に更新しているんですけどねぇ・・・
まぁそれでもライフログって程じゃないんですけど。
最近俺が利用するような時間帯、ちょっと調子悪いみたいだし。


ところで昨日は参院選でしたね。
どうやら与党惨敗、民主党大躍進って感じのようですが、
まぁしょうがないかな、つーか今更じゃねw ってのが正直な感想です。
何が驚きって、保守派が根強い我が千葉県でも、
3分の2が民主党支持だったらしいですね、姫君情報によると。
つってもぶっちゃけ、民主党も元々は自民党のあぶれた人たちの集まりですから、
衆院が早期解散して、またしても民主党大勝で政権交代があったとしても、
政治が根本的に変わることはないとは思います。
まぁ自民党と比べたらちったぁマシになるでしょうし、
自衛隊のイラク派遣みたいな愚行の極みをやったりはしないでしょうが。

ちなみにKairiさんは赤い党に投票しました。
姫君には「自分の奥さんにも言っちゃいけないんだよ!」って怒られましたが、
自信もって投票したトコなんで、別に言ってもいいと思ってます。
てか、基本政策として一番マトモなこと言ってると思いますし。
・・・まぁそれが現実的かと言うとなかなか難しいのですが。
ちなみにかの党の代表は、俺の中学の大先輩にあたります。
ちょっと誇らしかったり。


そういえば選挙関連で「YouTubeを活用した市民参加型政治は日本で可能か?」なんて記事を発見しました。
米国時間の7月23日の米民主党の次期大統領選を狙った討論会「CNN * YouTube DEBATES」でユニークな催しが開催された。

候補者に対する質問はすべて「YouTube」で一般の人たちからビデオ投稿されたもので討論をするというものである。
ビデオ投稿は、3000本にもわたり、CNNが選んだ39問もの質問が候補者に向けられた。
さすがはアメリカ、と言ったところでしょうか。
こういう企画をホントにやってしまうところはマジでスゴいと思う。
この企画のポイントは指摘されている通り、
これは今までのYouTubeが、既存の放送局コンテンツの著作を侵害しながら再利用されるという図式とは、正反対の活用方法である。
有権者の意見を「YouTube」にから、マスメディアが吸い上げ、候補者に答えさせ、それをまた放送局がコンテンツとして配信するという新たなコンテンツ流通システムのひとつの事例となった。
まさにCGM時代の幕開けを象徴するインターネット時代の民主主義のありかたになるのかもしれない。
というところにある。

今までのメディアというモノはあまりにも一方通行過ぎた。
新聞・ラジオ・テレビなどのマスメディアにしろ、
音楽や文学などの芸術分野にしろ、
発信者→受信者という情報の流れがハッキリしていた。
(せいぜいその逆となるのが「お便りコーナー」的なモノだった)
それは送信者にとっても受信者にとっても、
情報を取捨選択しないですむ、という点で非常に楽だった。
たとえそれによって情報支配が容易く成立したとしても、だ。

ところがインターネットというモノが普及したおかげで、
たった10年でその概念が打ち砕かれてしまった。
「情報を発信する」という行為がかつてないほどに手軽になったためだ。
まさに今俺がやってることが、それにあたる。
外部のブログの情報を取り込み、
さらにそれを考察した上で発信している。
つまり送信者と受信者という定義が曖昧になったのだ。

そういう点で、この番組は実に画期的だ。
質の差はあれ、CNNというプロとYouTubeに投稿する素人が、
同じ「映像」というコンテンツで情報を発信でき、
かつ、それがまだマスメディアとしては負けているネットではなく、
テレビという普及しきったメディアで発信されているからだ。
今まであった「お便りコーナー」的なものと何が違うかと言うと、
「お便りコーナー」というのはあくまでテレビというメディアが主体であって、
お便りはそれに付属した情報の一片でしかなかった。
だがこの番組の場合、今まで受信者にとどまっていた素人による投稿が、
完全に番組内のVTRとして扱われている。
よくテレビで扱われるコメンテーターのVTR並み、と言ったところか。
このプロと素人の垣根を越える、というのは非常に重要なことだと思う。
さらにそれに候補者からのリアクションが返ってくるのだから。

ちなみに、現状の日本の法律では
このような方法で有権者に訴えかけることは厳しいようだ。
日本では昭和25年に制定された「公職選挙法 第142条 文書図画の頒布」に、インターネットが該当するとされ、選挙活動は公示日以降、投票日まで更新が不可とされている(昭和25年の法律でインターネットを規制すること自体がまったくナンセンスなのだが…)。
現在、YouTubeなどでの動画共有サイトでの今回の参議院政見放送番組は、ことごとくNHKなどの削除要請のためにYouTubeから姿を消している。

NHKの巨大なスタジオにポツリとセットされた政見放送のセットからの録画放送をリアルタイムで視聴するよりも、YouTubeなどの動画共有サイトなどで、投票前に候補者を比較検討できたほうが、より有権者の実益になるとボクは考えている。

著作権のあり方よりも、NHKがほぼ国営放送に近い存在であり、かつ有料放送であることと、スポンサーがいないこと、公人を目指す候補者であること、候補者以外には氏名のボードしか存在しないことから、政見放送においては、選挙を主催する国政サイトで、すべての候補者の動画を共有し、投票行動のサポート情報とすべきではないかと思う。
まったく持ってその通りだ。
候補者の一方的な主張であるなら、
あのうるさい街宣車と街頭演説だけで十分だ。
肝心なのは、国民が何を考え、何をしてほしくて、
それに対して候補者がどのように考えているか、どう実現するか、だ。
メディアに対する認識が変わってきているのは目に見えているのだから、
候補者も、マスメディアも、その辺を考え直すべきではないだろうか?

・・・ま、そんなことができていたら、
日本は今もっと変わっていただろうが。


ホントはこのあと、俺が今やってみたい新時代のメディアってのを
つらつらと書いていきたかったんですが、
あまりにも長くなってしまったので、また次回以降としたいと思います。

ヒントは、YouTubeとGyaoとVideocast。あとついでにLinux(笑

i"m the real rocker: Kairi... v2.0へようこそ!

当サイトは、前身であるi'm the real rocker: Kairiを移設したものです。
旧サイトでは扱わなかった放送系のコンテンツも多数取り揃え、
技術面/コンテンツ面で時代の一歩先を行ければ、と思ってます。