2008/01/19

正義と悪―――私生活と奈須きのこ作品における考察。

今日は色々と思うことがあり、久々に更新したいと思います。
相変わらず長々と支離滅裂気味デスwww

以前から疑問に思っていたことなのですが、
「正義」ってなんなんですかね?
逆に言うと、「悪」ってなんなんですかね?

思想に明確な基準なんてありはしないけど、
「絶対悪」なんて言葉があるくらいだから、
きっと人間の根底に共通概念として存在しているんだろう。

でも結論から言って、私にはそれが理解できない。
快楽と不快、という概念なら理解できるし、よく知ってるから、
以前「正義」と「悪」をそれに当てはめて話をしたのだが、
母にも、姫君にも、たしか悪友であるゴリにも、「それは違う」と否定された。
それぞれ、その人達なりに反論してくれたのだが、
俺にはどうしても納得できなかった。

だから今日はそれについて考えてみる。



今日は母方の祖母の四十九日で、埼玉県は越谷まで行ってきたのですが、
自宅に帰ってきた頃、途中まで一緒に帰った母からメールがあって、
乗り換えの駅で5000円札を拾ったので駅員に届けたんだけど、
対応が素っ気なく、雰囲気的にそのまま駅員がネコババしそうだった。
しかも、周りになんか「お金くすねたヤツ」みたいな白い目で見られた。
この世に『正義』はないのか。
的な内容だった。
俺が小さな頃にも同じような出来事があって、
その日はなんか昼食に入った店でサービスしてもらったとかで、
「いいことしたからラッキーだったね」的な話になった気がする。

とりあえずその昔の話が出たときも、このメールも、軽くスルーしてる。


物心ついた頃には「家族」なるモノが崩壊してて、
家じゃいつも母と二人っきり、という家庭環境がそうさせたのか、
俺は基本的に母の思想の影響を強く受けてます。音楽だってそう。
「音楽に接する」という楽しみを教えてくれたのも母だし、
The Beatlesという俺のロックの原点を与えてくれたのも母。

でも、この「正義」と「悪」という概念の話になると途端に話が合わなくなる。

なんでも母によると、人間がその文化的な生活を保つために、
最低限のルールというか、
「やるといいこと」と「やっちゃいけないこと」の基準を共通して持っているらしい。
で、それが人類共通の絶対的な「正義」と「悪」の基準なのだ、という。


たしか姫君にも同じようなことを言われたのだが、
この2人は、そこに至る重要で単純な流れを忘れていないだろうか?

我々が社会生活を送る上で、「やっちゃいけないこと」に分類されるのは、
様々な面で他人を害するようなことだ。
つまり端的に言ってしまえば、「自分がやられたら嫌なこと」だ。
よく小学生とかを叱る時に「自分がやられたらどう思うの?」っていうけれど、
『自分が嫌』=『他人も嫌』→「やっちゃダメ」って流れが生まれてる。
つまり結局のところ、「悪」なんて概念は
「不快」っていう感情から派生したものに過ぎないなんじゃないの?ってこと。
「正義」はこの逆ね。「快感」「嬉しい」って感情の派生。

で、そう考えると、違った価値観の人物/共同体同士じゃ
「正義」と「悪」の基準も変わってくるんじゃないか、と。
よって、人類共通の絶対「正義」や「絶対悪」なんて存在しない。
あるのは個人、もしくは集団にとって
「気持ちいい」か「気持ち悪い」かという判断基準のみだ。
それが、俺の考えなんです。



奈須きのこのライトノベルで、俺が大好きな『空の境界』に出てくる
「チャンネル」という概念が非常に面白いので、使ってみます。

この「チャンネル」ってのは、要は世界や事象の見方のことです。
一般的に「異端」とか「異常者」っていわれる人たちは、
別に精神が病んでるとか、人格が歪んでるのではなくて、
単に世界の見方(=TVのチャンネルみたいなモノ)が
一般人と違っているだけなんだ、という考え方です。

わかりやすく例えるならスピード狂。
一般的に見ればアレはタダの暴走行為で、非常に危険ですが、
彼らにしてみれば刺激的な体験で、これ以上ない程の快楽なワケです。
以前ドキュメンタリーについて語ったときの、
「真実」と「事実」の違いと共通していますね。

この考え方を用いると、例えば1chを見ている集団の中で、
独り4chを基準に物事を考える人がまじっていたら、
当然微妙に考え方や情報の受け取り方が異なるわけで、
大勢の人々が「絶対悪」だと思っていることも、
その4chを見てる人にとってはごく普通のことかもしれない。
さらにいうと4chを見てる人は、この集団では「異端」であって、
「社会」とか「一般」とかの外に位置する存在だけれど、
4chを基準にモノを考える人が大勢を占める集団があれば、
その人は全然「異端」なんかじゃない。
そう考えると、1ch集団にとっての「絶対の善悪」も
全体で見ればその集団の「文化」などと呼ばれる固有のものに過ぎない。


・・・どうだろう?
これでも絶対の「正義」や「悪」は存在するんだろうか?
しかも実際の世界は、チャンネル数≒人口なんだから、
本当に共通の善悪の基準を持っているか、実に怪しいものだと思う。

もちろん人それぞれ、もしくは集団内で共通の
「善悪の基準」があることは否定できないけれど、
それをもって全ての事象の善悪を計るのは傲慢じゃないだろうか。


後に奈須きのこは『Fate/stay night』(実は未プレイ!)の中で、
「正義の味方」と「この世全ての悪」というキャラクターを出している。
これも面白くて、両者とも過程は違えども、
結局は何かを犠牲によって人々を救った、という設定なのだ。
「正義の味方」はみんなを救うために、大勢を庇い、
悪、というか少数を殺し尽くした。
本来<全てを救うこと>が理想の「正義の味方」であるのに。
「この世全ての悪」は、その汚名を被されることで、
その他大勢が相対的に「正しい」あり方に近づき、彼らを救った
お互い『自己のあり方』を犠牲にして、人々を救ったのだ。

見方によってはどちらも
人々を幸せにするような「正しい」ことを行っており、
何かを犠牲にしてしまう「悪」でもあますよね。
つまり「チャンネル」の違いによって、
同じ事象でも善悪が入れ替わってしまうんです。
で、それを決定づけるのは快感か不快か、という話じゃないか、と。

だからこそ、簡単にこの二つの言葉を口にしてほしくないのです。
「お前の好み押し付けんなよ」と言う感じで。



正直に言わせてもらえば、
俺がこうまでステレオタイプな「正義」「悪」を嫌うのは、
アメリカが戦争の口実にそれを使うことへの反感です。
まぁ考えても見れば、今までどの国家も同じ理由を使ってきたんですが、
ことさらそれを強調する現ブッシュ政権はあまりに偽善的。
どうせやるんだったら、
「アイツら気に入らないからブッ殺す」ぐらい言えば、
まだ「バカだからしょうがないか」とも思えるんですが・・・。


みなさんにとっての「正義」「悪」ってなんですか?
その基準はどこにありますか?

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